1. わざとではないけれど、ごめんね。

わざとではないけれど、ごめんね。

園長コラム

 先日、雨の降園時のことです。園庭にお迎えの保護者が大勢いらっしゃる中を走り抜けていく年中児がいました。勢いよく足を水たまりに踏み込んで、そのはねた水が近くにいらした大人の洋服にかかったのにも気づかず、正門に立つ私のところまで来ました。すると、その後ろを追いかけてきたお母様がすぐに気がついて謝りの言葉をかけ、我が子をその場に連れ戻して謝るように促しました。お相手のお母様は「大丈夫よ・・・」と、子どもに謝らせるということに恐縮していました。私は、思わず、「子どもの為になることですから、(そのまま謝らせてください。)」と言葉をかけました。

 悪意があったわけではないとわかっているので、お相手のお母様も、その場で困ってしまわれたのだと思います。また、人によっては大人が謝るだけでその場を終わらせてしまったかもしれません。

わざとではないのだけれど、不注意で起きてしまうことは多々あります。

その時の対応に迷いますね。私がとても尊敬していた先生がそのような質問に答えた話を二十年以上たっても印象深く覚えています。

『私にはとても可愛い孫がいます。ある日、私の書斎で大切にしているものを孫が壊してしまいました。悪意がないことはわかっています。でも、「いいよ。」というわけにはいかない。「これは、おじいちゃんの大事なものなのだよ。壊れてとても悲しいなぁ・・・・。次は気をつけようね」と正直にがっかりした表情で言いました。気持ちが孫に伝わり、自分自身で「悪かったなぁ。今度は気をつけよう。」ときっと思うはずです。それが、心を育てることなのではないでしょうか。』

多数の幼児がともにすごす幼稚園では、些細な行き違いが頻繁におきています。

振り向きざまぶつかって相手が倒れて泣いてしまった・友達が作った積木の町をうっかり壊して怒られた・もう誰も使っていないと思って一輪車を転がし始めたら追いかけられた、何気なく言った言葉に友達が傷ついてしまったなど、「わざとではないの。ごめんね。」の場面です。私達教師は「小さい子だから仕方ない」と終わらせるのでもなく、叱るだけでもなく、その事情にそって「ごめんね、今度は気をつけるね。」と次の行為に繋がるような対応を心がけています。

そのように丁寧に向き合っていくと、相手の子どもが「いいよ。(許してあげる)」と応えてくれるのが不思議です。子どもは「ごめんね。」と「いいよ。」の両方の立場になりながら、とても大事なものが養われていきます。

年齢に応じて心が発達していき、年長くらいになれば「誰にも間違いがあるものだ。」という意識がもてるようになり、同時に「自分も間違えることがあるのだ。」と思えると、心が寛容に楽々となっていくはずです。

「心を育てる」ということは理屈ではなく、人の関わりのなかで心を響き合わせていくような毎日があってのことです。

 

                       園 長    手 塚 映 子

 

2014年6月24日

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